こうして会社に出勤し、愛想よく挨拶し、笑顔で返事をしたり、
なんだかんだ上司の期待にある程度そえるような応対が出来ていたりするわけだけど
家に帰ってきたこのテンションの低さはなんだろう。
友達から電話があって仕事先の話をしても、同じ。
仕事の内容ややりがいや大変さはまだ全然理解していないし特に天職だとは言えないけど
それなりに上司や先輩に恵まれた環境ではあるし
資格制度もあって自分を磨く事もできるだろうし
制服はまあまあセンスもいいし(笑
スタートをきったばかりでこれからだ!って感じで意気込んだ話が出来たのに
電話を切ってしまうと恐ろしく冷めた気分に陥る。
頭では判っている。
半年間も無職だった状態を抜け出し、社員として職を持ったという事は
社会的に"普通の人"になったのだ。
親にも安心を与えられるだろうし、親孝行だって出来る。
親戚や友人にも引け目なく接する事が出来る。
何の目的も無く無職でいてどんどん駄目人間になってしまう事を
ちゃんと自らの頭で懸念して、実際に行動し、そこから脱却した。
当たり前の事であり、正しい事だったのだ。
しかし、ふと思う。
自分は"普通の人"になって何がしたいのだろう。何が目的なのだろう。
それも頭では判っている。
生きる為だという事。自分の為だという事。
働かざる者食うべからず。食べていく為に働く。それは紛れも無く自分の為だ。
けれど生きる意味はなんなのだろう。自分に生きる価値があるのだろうか。
それも頭では判っている。
生きる意味や価値は自分で見出すものだ。
又、誰かを介して見出すものでもある。
母はたまにこう言う。「naomiと○○(弟)は私の宝物なのよ」
母からみて私達子供はそこに存在しているだけで価値があるのだと。
そう言ってもらえるあたしはとても幸せ者で、
ならばあたしは母の為に生きてもよいのだな、と感じる。
それなのに自分が生きていく事に対して不安に押し潰されそうになっているのはなぜだろう。
生きる事に疑問が付き纏うのはなぜだろう。
死にたいわけではないし、生に執着が無いなんて言うつもりは無いけれど
ただ、生きる事・生活していく事に溜め息ばかり出る。虚ろな気分でしかない。
以前は確かにあった、溢れるような未来への期待。
毎日が楽しくて、要所要所に苦難があって、
1年に何回かはすごく嬉しい事がプレゼントのように用意されている事を
何の根拠も無く信じていて、実際にそうであったし
何も疑う事無く素直に幸せを全身で感じていた。
それはこれからもずっとずっと続いていくもので
自分の人生は世間では平凡かもしれないけど
自分からみればちょこっとだけ波乱万丈で、最終的には絶対に幸せ者になってやる!って
本気でそう思っていた。
けれど最近のこの冷めようはどうしていいのか判らない。
精神的におかしい。
ただこのおかしいというのは病気とかそういったレヴェルでは無く
会社の人や家族・友人などと何の問題も無く会話は出来るし(冒頭で書いたように)、
そこまで切羽詰ったものでもない。
そして仕事の疲労で夜はぐっすり眠れるだろうし、食欲もある。
これは身体的には逆に健康的と言えるだろう。
つまり頭では判っているし、身体は健康的だという事は
少なくとも頭と身体は一応社会に適応しているのである。
そうなのだ。
中味がついてきていない。
精神だけが、心だけが真っ暗な箱の奥から出てきていない。
その箱には鎖が沢山巻きつけられていて鍵がかかっている。
がんじがらめに。
結局、何を書きたいのかも判らなくなってきたので一旦ここで切ろうと思う。
後で加筆したり削除したり書き直したり、もしかしたら全く違う内容になるかもしれない。
箱は開かずに、潰されてしまうかもしれない。